和歌山県橋本市東家・市脇見学会


12月14日「だんじり通信」さん主催による見学会が和歌山県橋本市で行われました。見学対象は現役最古の下地車の東家と板高覧の名地車の市脇です。自分は模擬テストを堺市某高等学校で行った後、トイレで制服から私服に着替えて(かなり怪しかったに違いない)南海高野線で橋本市へ向かいました、橋本市はそれほど遠くはありませんでした。

橋本市東家のだんじりです。現役最古の下地車で、「だんじり会館」にある紙屋町先代のだんじりより1年後に作られています。内部より「天保11年 花岡 源助」の銘がみつかっています。このだんじりは岸和田市中町で新調され大正11年に貝塚市清児⇒昭和32年に和泉市今在家(現在は廃絶)⇒昭和34年に橋本市東家とやってきました。では東家のだんじりをごらんください。

屋根です。枡合が広くとってあります。枡合いは「大蛇退治」です。

木鼻・枡組み・垂木等。枡組みの配列がきれいですね。

木鼻です。この時代独特の顔をしてます。

正面土呂幕、三国志の一部でしょうか。

土呂幕の人物です。今の小さな人形よりも、大きく枠を取って大きな彫物をほるこの時代のほうが個人的には好きですね。

連子は「忠臣蔵」、この場面は米倉に隠れていた吉良を引きずり出す場面のようです。ちょうどこの日は吉良邸の討ち入りがあった日でした。

腰周りの角には組み物がありました。この頃は松良などの構造は無かったのでしょうか。おそらくここから半松良⇒松良と進化していったのでしょう。

土呂幕右、これも三国志の一場面。

大連子、これも忠臣蔵です。吉良を蔵之助の前までつれてきた場面?

左土呂幕、同じく三国志の一場面だと思います。

大連子「忠臣蔵 清水一角の奮戦」とおもいます。今のだんじりは橋の上で戦ってるのですが、この場合は下に落ちてます。

小屋根、ものすごくきれいです。自分はこのだんじりのここにほれました。今のだんじりと大きく違います。

小屋根の鳥衾です。龍が居ました。下地車でも「飾目」っていうんでしょうか。

見送り「項羽と項伯」?

「韓信 計を定めて三秦を取る」だそうです。見送りは3面でそれぞれ題材が違います。

右にある柱ですが、よく見てみると龍のほりものを貼り付けてあるのでは無く、彫っていました。ものすごい技術です。

見送りを左から、中央の人物は秦の始皇帝だそうです。

からくりの名残で擦り出し鼻に溝が彫ってあります。

目で見えるあちこちに岸和田藩の許可の証である、「岸極」の焼印がありました。この焼印はいちばんはっきりしたものです。

後から。よくみると台の下に梃子があります。大阪市内なんかは多いですが、橋本にきて改造されたものでしょうか。


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