泉大津市豊中・飯之山地車見学会


つづいて飯之山だんじりの紹介です。飯之山だんじりは穴師神社の神事に使うだんじりで、いまは日本でここでしかみる事が出来ません。祭の日は中に飯の山を積むことからこの名がつきました。明治26年の作品で、大工・彫師はともに桜井義国、通称「明治の甚五郎」です。彫物の題材は主に穴師神社をパノラマで表現したものや、獅子や兎などの彫物です。

くわしくはリンクしている飯之山のHPで。

飯之山を斜め前から。前方には方向転換をするための棒がありました。上地車の担い棒のようなものでしょうか。

正面の屋根です。独特の浅い高配の屋根で、二重破風です。

入母屋ですが、扇垂木ではありませんでした。枡組みも珍しく、主に神社やお寺などで見られるものです。木鼻の顔もこの時代独特のものですね。

泉佐野市長滝中ノ番のだんじりのように大屋根の左右にも破風がありました(しかも二重破風)。獅子噛もあり、やぐらなどに多くみられる顔つきでした。枡合は穴師神社です。

正面土呂幕です。穴師神社をパノラマで表現しています。いまの穴師神社の配置と一致していて、明治時代から穴師神社は変わっていないことを示しています。狛犬なんかはかなり細かく彫られています。上の彫物にはお釜が落ちています(お米のだんじりだから?)

人物です。明治時代なので(?)丁髷ではありません。子ども連れの親子でしょうか。平凡で日常的な彫物です。

右側の彫物です。正面同様に穴師神社の彫物です。

馬に乗った人物です。明治時代にこんな人がいたのか?

いかにも明治時代に居そうな人です。犬をつれて散歩かな?

上には虎(?)を追い掛け回す男の子の彫物があります。

明治時代に丁髷のひと?でも少しはいたんでしょうね。

土呂幕の後は兎です。上地車の正面土呂幕によくみられる観音開きでした。なかに何かを収納するんでしょうか。もしかすると太鼓かも知れませんね、上地車はよくありますから。。

内部には飯を盛る道具がありました。天井には櫻井義国師の銘板があり明治26年8月1日とありました。一緒に大下工務店が平成元年に修理した時の銘もありました。

松良です。なんの彫物でしょうか。

この顔ぶれはたぶん「天の岩戸」でしょう。四隅の松良にそれぞれ「天の岩戸」の人物が刻まれていました。

ここにも。。

最後に豊中町のミニ地車です。子どもの遊び場と化してました。朝、自転車で向かう途中にこのだんじりの曳き出しに出くわし、太鼓を聞いたとたん、ミニだんじりなのに鳥肌立ちました。ちなみに穴師神社は「和泉五社」の1つなので社紋は十六問菊です。